マルチリンガル演劇実行委員会
&
劇団MUSICAI
《出演者》
藤井さやか
辻村夏穂
みやけい
三明真実
伊藤さやか
(名前の順番を変えてほしい方いらっしゃいましたら、お気軽にお申し出ください^^
いろんな事情があると思うので、最大限、協力させていただきます!)
2022/9/25 (Sun)
スタジオフォーにて 東京都豊島区巣鴨4-42-4
17:00 会場入り
18:40 開場
19:00 開演
20:30 終演
2500円(ワンドリンク付き)←秘密
「人魚姫〜或るかなわぬ夢の物語」「星の王子さま〜かつて子供だった大人たちへ〜」「アートなテーマパーク〜人魚姫の海、街、空〜」からの抜粋リサイタル
《ねらい》
・マルチリンガル演劇実行委員会とMUSICAIのことを知ってもらう
・「星の王子さま〜かつて子供だった大人たちへ〜」上演応援パックを知ってもらう
・「アートなテーマパーク」に興味をもってもらい、来場のきっかけに
《スケジュール》
7月
Web告知開始
チラシ製作(いらない?)
選曲
構成決定
朗読台本用意
zoomリハ、自主練
8月
3回くらい地域創造館で対面リハ
9月
会場リハ
別会場でゲネプロ
海の一番美しい場所に人魚の王国がありました。
王国の水はどこよりも美しい⻘。
そんなに⻘いのは矢車菊という花だけ、そんなに透き通っているものは、磨き上げられたガラスくらいなものでした。
人魚の王様にはたくさんの娘がおりました。
どの子も「人魚姫」ですので、家族は「一の姫」「二の姫」「三の姫」と呼んでいました。
「一の姫」のうろこは、真珠のように不思議な輝きを持っていたので、いつの頃からか「真珠姫」と呼ばれるようになりました。真珠姫はいつも、美しいうろこを指でなぞりながら思うのです。
「一番最初に生まれたのは私(わたくし)。
一番最初に、人間を溺れさせることができたのも私。
一番最初に、人間の魂を集める遊びを思いついたのも私。
一番たくさん、人間の魂を集めているのも私。
なのにどうして、いつもあの子が一番目立っているの?
賢くも、美しくもないじゃない。
ただ、私たちと違うだけ」
そう、一番下の妹は、お姉様達とは違いました。
末っ子は、お姉さま達が持っていないものを持っていたのです。
それは、夢。
「私も、人間みたいな魂がほしい」
末っ子は、お姉さま達のように、魂を集めて宝箱に入れたりはしませんでした。
人間になって、自分だけの魂を持ちたかったのです。
人魚には魂がありません。
その代わり、三〇〇年という長い時を生きることができるのですが、若い人魚達にとって三〇〇年の寿命なんて退屈なものでしかありません。それよりも人間達が持っている光り輝く魂に憧れるのでした。とはいえ、本当に人間になって魂を持とうなどと考えるのは、この末っ子くらいなもの。真珠姫を初め、お姉さま達は末っ子の夢を笑いました。そして夢をもつ末っ子は、良くも悪くも、いつだって一番目立ってしまうのです。
その日も、末っ子がどんなおかしなことをするのか知りたくて、真珠姫はこっそり後をつけました。その日の末っ子は、いつもよりもっと変だったのです。嵐の夜からずっと、お姉さま達の言葉が聞こえないようでしたが、その日は、まるで目の前のものすら見えていないように、上から差し込んでくる光を、じいっと見つめているのでした。そして、突然、泳ぎ出すと、海の底へまっすぐ向かって行きました。光が届かず、醜い深海魚と海の魔女しかいない、海の底へ。
よどんだ水に吐き気をもよおしながら、真珠姫は、末っ子と海の魔女の契約をずっと見ていました。末っ子が、桜貝のように優しい色をしたうろこも、お姫様という地位も、美しく平和な故郷も、三〇〇年の寿命も、家族も、みんな捨てるのを、真珠姫はただ、ずっと見ていたのです。
末っ子は震えていました。これから始まる人間としての未来に。
そして真珠姫も震えていました。妹が自ら捨ててしまった幸せに。
二人とも、恐ろしさと嬉しさでいっぱいでした。
魔法の薬を手にした末っ子を、真珠姫が追おうとした時、
「お前、そこにいるのは知ってるよ」
魔女が真珠姫を呼び止めました。
「お前、あの娘は王子と結ばれて人間の魂を手に入れることができると思うかい?それとも、夢やぶれて、泡と消える羽目になるかね?」
真珠姫は答えます。
「私にできるのは、姉としてあの子の幸せを願ってやることだけだわ」
魔女は見透かしたような笑い声をたて、言いました。
「願うより、もっと確かな方法がある。もし、あの娘の夢が破れたら、お前たち姉妹全員の髪を持ってきな。あの娘を人魚に戻すための薬をやろう。姉妹『全員』の髪と、交換だ」
真珠姫は、カサゴのような魔女の頭を冷ややかに見て微笑みます。
「ありがとう。覚えておくわ」
陸に上がった人魚の話は、あっという間に海全体に広がりました。人魚姫が恋した王子のお城は、海のそばにあったので、人魚たちは危険を知りながらも、お城を覗くために入江まで行きました。
「あの子が歩く練習をしていた」
「あの子に人間の友達ができた」
「あの子が人間の王子と踊ってた」
そんな話を聞くたび、人魚の王様は涙を隠せませんでした。
「そうか…あの娘は、ちゃんとやっておるのだな」
王様は時に誇らしげに、時に自分へ言い聞かせるように、そうつぶやくのでした。
人魚の王国にいる者はみんな、陸にいる人魚姫の噂をしていました。毎日毎日、飽きもせず。
末っ子の噂話を聞くたび、真珠姫は、自分の胸の奥に、どす黒い色をしたイソギンチャクが生えたような気がしました。イソギンチャクはどんどん伸びて、絡まり合って、やがては、妹たちと遊んでいる時ですら、胸の中でざわざわ揺れて、こんがらがって、真珠姫を苦しめます。
お気に入りの遊びも、ちっとも楽しくなくなってしまいました。人間を溺れさせて、その魂を宝箱に集めても、魂のコレクションが増えても、それを妹たちに羨ましがられても、もう、胸がドキドキすることはありません。ドキドキもワクワクも、胸の中に生えたあのイソギンチャクに、絡めとられてしまうのです。
「お姉さま、どうしよう!」
人間達の船遊びを見に行った三の姫がそのニュースを持ってきた時、真珠姫は胸の中のイソギンチャクが枯れていくのを感じました。
「人間の王子はあの子じゃなくて、人間の娘と結婚するんですって!」
そう言って、尻尾をバタバタさせる三の姫。
真珠姫は、ようやく胸の中のイソギンチャクがなくなり、楽に息ができるようになったのを感じました。けれど、イソギンチャクが消えた胸は空っぽ。ただ、空っぽでした。
「ねえ、お姉さま。お姉さまのうろこだけ、どうしてそんなにきれいなの?」
なぜか急に、真珠色のうろこを見つめる末っ子の眼差しを思い出しました。
そんな末っ子に、真珠姫は言ったものです。
「あら、あなたのうろこもきれいよ。桜貝のようだわ」
「でも、人間は桜貝より真珠の方が好きだもの。人間の世界ではね、桜貝を集めるのは子供だけ」
そう言って黙り込んでしまった妹の横顔を思い出した時、真珠姫の胸の空白に、後悔が津波となって押し寄せてきました。
「髪を…私たち皆の髪を、魔女に渡すのよ!髪と引き換えに、あの子をもう一度人魚にしてくれるって、魔女が言ってたわ。ほら、切るのよ!髪を!」
「イヤです、絶対にイヤ!」
さっきまで末っ子ために泣きじゃくっていた三の姫は、すごい形相で、イワシのようにシュシュっと逃げ去ってしまいました。
しょうがないので、真珠姫は二の姫から説得することにしました。
二の姫は、真珠姫が大好きなのです。
「なるほど。お姉様、お話はわかりました。どのくらい切ればよろしいの?これくらい?」
「…多分、このくらい」
真珠姫の言葉に、二の姫はしばらく言葉を失いました。
「そ…そんなに切ってしまったら、元に戻すのに何十年…もしかしたら、百年くらいかかるんじゃない…? そうしたら私たち、もうおばさんよね?」
「そ…そうかしら…」
「つまり、こういうことでしょう?私たち、これから恋もするし、お見合いもするかもしれないし、結婚式もあげるし、子供だって作るのに、その間、ずうっと、おかしな髪型だってことよね?毎日お手入れをして、せっかく、こんなに長くしたのに」
「そ…そうだけれど、でも、」
「この、人生で一番輝かしい時代を、台無しにするのね!」
今度は真珠姫が言葉を失う番でした。
ゆらゆらキラキラとなびく長い髪は、美しさ、若さ、そして高貴さの象徴。魔女に髪を渡すということは、一番美しいはずの時代を、一番美しい姿で過ごせないということなのです。
「でも…あの子が泡になったら、私、恋しても、結婚しても、子供ができても…辛いわ」
いつもは上手に言葉を選ぶ真珠姫が、自分の気持ちをきちんと伝えられず、うつむいてしまいました。二の姫は、ため息と共に泡を吐きます。
「そうね。イヤね。髪を切るのはイヤだけど、あの子が泡になるのは、もっとイヤね」
二の姫が決心したので、二の姫と話の合う四の姫も髪を切ることにしました。四の姫をライバルだと思っている五の姫は、四の姫が決めたとたん「私も!」と叫びました。その下の妹たちも、まるでつられるように「私も!』「私も!」と続きます。
残るは、三の姫のみ。
三の姫は、姉妹たちの中で唯一、夜の空のような真っ黒い髪をしており、それをいつも自慢にしていました。
「この髪がなくなっちゃったら、私が私でなくなっちゃうじゃない!」
「あなたはあなたよ。髪だって、なくなるわけじゃないわ。短くするだけだし、待てばちゃんと長くなるでしょう」
「待ってるうちに、おばあちゃんになっちゃう!」
「バカじゃない、せいぜい、おばさんでしょ」
「絶対にイヤ!!」
みんなでどんなに説得しても、三の姫は頭を縦に振りません。
結局、三の姫は放っておいて、魔女の元へ行くことにしました。
魔女が「一匹、二匹、三匹、四匹…」と姉妹の数を数え始めたので、真珠姫は青くなります。
魔女は以前、「全員の髪と引き換えに、人魚姫を海に戻してやる」と言ったのです。
「全員の」と。
「おや、一人、足りないようだが、」
魔女の言葉をさえぎり、真珠姫が言います。
「これだけたくさんの髪をあげると言っているのよ!十分でしょう?!」
「あたしゃ『全員の』と言ったよ」
「どれだけ欲が深いの?!」
人魚の姫君達は口々に魔女を批難しました。
「あんた達…自分たちの欲しいものを手に入れるために説得しなきゃいけない相手を怒らせて、どうすんだい。姫様ってのは、つくづく要領が悪いねえ」
暗闇にひそむ深海魚達がギギギギギと笑うのを背中で感じながら、人魚のお姫様達は何も言えず、ただ、魔女をにらみました。深海魚達のひそひそ話と人魚達の気まずい沈黙が続き、妹の一人が「もう帰りましょう」と言いかけた時。
「チャンスをやろうか」
魔女の言葉に、人魚達の瞳が輝きます。
「約束が違うから、薬はやれない。だが、チャンスをやろう。おまえ、あれを持っておいで」
魔女の左足に巻きついていた海蛇が、シュルッと闇間に消えたかと思うと、一振りのナイフを鋭い歯でくわえ、戻ってきました。
「これをあの子に渡しておやり。これで王子を殺せたら、もう一度、人魚に戻れる」
海蛇が真珠姫の目の高さにナイフを持ってきました。それは、鈍い色をした、細いナイフ。
もしナイフを受け取る時、海蛇に噛まれたら、その手は一生、使えなくなるかもしれません。真珠姫は、手が震えているのを誤魔化すように、海蛇のまっくろな目をにらみつけ、ナイフを受け取ります。
「怖がらなくていい。海の底に棲む者はね、意味もなく誰かに害をなしたりしない。人間を溺れさせて遊ぶ誰かさん達ほど、暇じゃないんでね」
いっそう震える手で、真珠姫がナイフを受け取ると、魔女は続けました。
「さあ、まずはそのナイフで髪を切るんだ。ケチケチすんじゃないよ。たっぷり置いていきな」
人間に刈り取られた海藻のように滑稽な髪の毛になってしまった人魚の姫さま達。
魔女に髪を渡さなかった三の姫は、今、どの姉妹よりも美しい姿をしていましたが、誰よりも自分を恥じていました。
いっそ、今すぐ、髪を切ってしまいたいほどに。
おかしな髪になった人魚の姉妹は、しかし、瞳を希望でキラキラさせながら、お城のそばの入江までやってきました。
そして、海に棲む者だけが分かる声で末の妹を呼びます。
末っ子はカツオノエボシのような美しい衣を風にはためかせながら、お姉様たちが見たことのない石で飾り立てられた小さな二足の靴を器用に動かし、走ってきます。
「お姉さま!その髪…」
いつもどこかぼんやりした末娘でしたのに、姉達の姿を見た途端、彼女達が誰と会ってきたか悟ったようでした。
海にいた時よりもずっとやつれ、けれど眼差しが強くなった末っ子。
真珠姫は、彼女の姿を見ただけで、彼女が過ごした時間の重さを感じたのでした。
真珠姫は魔女のことを言わないまま、
「これで、王子を殺しなさい。そうすれば、私たち、また家族に戻れるわ」
と、すっかり肉を落としてしまった人魚姫の手を、自分の透き通るような手で包み込むようにして、そっとナイフを渡しました。人魚姫の両目から、お姉様たちが見たことのない透明な水が溢れ出します。
「お姉さま、私、本当におろかで、海を離れてはじめて、私には家族がいるんだって分かったの。お姉さま、ごめんなさい。ごめんなさい」
「本当に馬鹿ね、『ごめんなさい」じゃなくて『ありがとうございます』でしょう?」
「必ず結婚式の前にそのナイフで王子を殺すのよ」
「貴方を愛さなかったバカ王子を!」
「さもないと、あなたが泡になってしまうんだからね。分かってるわね?」
お姉さまたちは、何度も何度も、末っ子に言い聞かせ、何度も何度も手を振りながら、海の中へ戻っていきました。
四の姫と五の姫は、妹を救えた喜びでいっぱいでした。けれど真珠姫は、別れ際、魔女がつぶやいた言葉を思い出さずにいられなかったのです。
「魔法で姿は変えられても、心は変えられないよ」
その夜は、陸にそびえ立つお城の王族にとっても、海の王国に君臨する人魚の一族にとっても、忘れられない夜になりました。陸のお城では、王子と婚約者の結婚式。お城も人々も、花と宝石で飾り立てられています。そして空には無数の花火が。
花火の音すら届かない海の王国は、満月の光で満たされていました。その中を、何万というクラゲが舞います。
人間が花火を楽しむように、海に棲むもの達は、クラゲが咲き誇る満月の夜を楽しんでいました。いつもいがみあっていた四の姫と五の姫は、クラゲの間を泳ぎ、はしゃぎ回っています。明日、末っ子が戻ってきたら、最初にどこへ連れて行くか、相談しながら。
最近は人前に姿を現さない人魚の皇后様も、今夜は家族と一緒に過ごします。優雅さを失った長女と次女の髪を撫でながら、
「お前達を、誇りに思う」
と、静かに微笑みました。二の姫が、ずっと胸に支えていた質問を口にします。
「おばあさま…あの子は、ちゃんと王子を始末できるかしら?」
「…昔々、やはり人間に恋をして海を離れた人魚がおったそうじゃ。恋にはやぶれたが、人間を始末し、きちんと海に戻ってきたと聞く」
「おばあさま、本当?!本当に?!」
皇后は、ゆっくりとうなづきました。二の姫はそれですっかり憂いが晴れたようでしたが、真珠姫は黙っておばあさまを見つめていました。真珠姫の頭の中には、ずっと魔女の言葉が響いています。
「魔法で姿は変えられても、心は変えられないよ」
夜が明けて、朝日がのぼっても、お日様が西に沈んでも、一番下の妹は戻って来ませんでした。
人魚のお姫様たちは、再びお城の近くの入江に向かいました。
しかし、入江には入れません。人間達がたくさん船を出し、何かを探そうとしていたのです。海の中へ潜ったり、大声で名前らしきものを叫んだり。誰か、人間の国の重要な人物が海に消えたようです。人魚たちは、末っ子が王子をナイフで王子を刺し、死体を海を放り込んだのだと思いました。
「あの子にしては、よく考えたじゃない!」
四の姫と五の姫は、イルカのようにくるくる回って、大喜びです。
二の姫は、
「もう、どこをほっつき泳いでるの?海に戻ったなら、まずは私たちにお礼を言いに来るべきじゃない?」
と口をとがらせています。
真珠姫は何も言わず、人間たちをずっと観察していました。
もし、人間の王子が海に落ちて来たのなら、すぐに噂になるはずです。ちょっと前の、嵐の時のように。
真珠姫は、一隻、また一隻と、船が陸へ戻っていくのを見守りました。
空の月が半分欠けた頃には、一隻の船だけが残っていました。
その船には、真珠姫と同じくらいの歳の娘が乗っていました。月の光を吸ってキラキラ輝く衣を身にまとい、頭には冠を載せているのに、海に落ちた花びらのようにしおれています。消えてしまったのは、彼女にとってかけがえのない人間だったでしょう。もはや、本気で探そうとしているのは、彼女だけのようでした。月が雲に隠れると、真珠姫は彼女の船のそばに行き、彼女の顔を見つめます。彼女は疲れ切っていて、甲板に立っているのも辛そうでした。真珠姫が思わず海面近くまで上がった時、突然、月が雲から顔を出しました。そして、真珠姫は人間の娘と目が合ってしまったのです。
彼女が目を大きく見開いたので、真珠姫は彼女が悲鳴をあげると思いました。けれど、必死に息を整えると、彼女は人魚の言葉で、「あの子は?」「どこ?」と尋ねてきたのです。
「どこ?」
「海にいるの?」
「あなたは家族?」
「あの子は帰りましたか?」
もし真珠姫が人間だったら、泣いていたかもしれません。真珠姫は、その人間の娘が、どれほどあの末っ子を心配しているか、分かってしまったのです。こんな相手を裏切って自分だけ海に戻ることが、あのお人好しの妹にできるはずがありません。悲しみとも怒りともつかない感情のかたまりが、真珠姫の中にはありました。けれど、真珠姫の体に触れる無数の泡が、突然、イルカのように甘えて頭をすり寄せてきたあの妹の温かさを、真珠姫に思い出させたのです。
「大丈夫よ。あの子は、私たち家族と、また、幸せに暮らします」
もう叶わぬ望みを優しい嘘にして、真珠姫は船から離れました。
それから100回、満月の晩があって、海の王国に棲む者たちも、人魚姫の話をしなくなりました。
二の姫は、結婚しました。フヨフヨと揺れる短い髪を「クラゲの足みたいで可愛い」と言う、優しい変わり者と。
四の姫と五の姫は、今日も仲良く喧嘩しています。
真珠姫は、おばあさまに言われるままに、色んな方と会いましたが、心が動くような出会いはありませんでした。
波間を漂いながら、真珠姫は今日も、泡になって消えた妹と、妹が短くも激しい人生を分かち合った人間たちを想うのでした。
近頃、誰にも内緒で、真珠姫は人間たちを観察しています。
妹を裏切った王子と、妹の友達だったらしい人間の娘は、今や人間の国の王様とお妃様となり、二人には小さな王子様もいます。王子様はいつも皆から心配されていました。あまり歩くのが上手ではなかったのです。人間の幼児は皆、頼りない歩き方をするものですが、その王子様は少年になっても、幼い子供のような歩き方しかできず、毎日、いろんなところで転んでいました。けれどその王子様は、誰もが認める水泳の名手。そして、王様が呆れるほど、海が好きでした。
人間の観察をしている真珠姫を、海を探検するのが大好きな彼が見つけてしまったのも、当然の成り行きかもしれません。真珠姫はすぐに海深くへ逃げましたが、少年はなんと、真珠姫の後を追ってきたのです。人間を溺れさせることが誰よりも上手だった真珠姫は、このままいけば少年が死ぬことが分かりました。そして、淡く清らかな光を放つ魂が手に入ることも。それはとても面白いことだったはずなのに、水を飲んでしまった少年を見た真珠姫は、考える間もなく、その小さな体を抱え、海の上へと向かいました。
「とても、ありがとう」
砂浜に少年の体を放り出すと、少年はおかしな言葉で、真珠姫に話しかけてきました。今は立派なお妃様になった、あの娘が教えたのかもしれません。真珠姫は、「もう無茶はしないように」とか「人魚に会ったことは誰にも言わないように」とか、色々言いたいことがあったのですが、この小さい人間の語学力では理解できないだろうと思い、ただ、
「どういたしまして」
と伝えました。その時の少年の顔。そんなに嬉しそうな生き物を、真珠姫は今まで見たことがありませんでした。真珠姫は、有頂天になった少年が方々で人魚を見つけたことを言いふらすのではないかと不安になったりもしましたが、母親同様、口が硬いらしく、人間によって人魚の世界が乱されることはありませんでした。
真珠姫も、小さな王子様を助けたことは、誰にも言いませんでした。その後も二人はしばしば遭遇し、その度、真珠姫は人間の成長の早さに驚きます。どんどん大きくなる王子様は、海亀やサメたちなど、賢い海の生き物と友達になる方法も覚えていきました。しかし大人になったように見えてもやはり人間。相変わらず、ちょっとしたことで溺れそうになるので、真珠姫は、海の仲間と王子様を見守ることにしました。
王子様を見守ることは、泡になった妹への祈りのようでもありました。
あの妹と王子様、形は全く違います。けれど、いろんなものが見えなくなるほど夢中になってしまうものを持っているところは、全く同じでした。あの妹への嫉妬に身を焦がした時代もあったけれど、今は、王子様が海の中で幸せな時間を過ごせるよう、願う真珠姫でした。王子様の海への情熱が、陸の世界への絶望の裏返しであることも、真珠姫は気づいていました。あたたかく、哀しい気持ちで王子様を見つめていると、時々、泡になった妹にそっと抱きしめられている気がしました。
人魚姫が泡になった晩から数え、200回目の満月の夜。
知り合いの人魚と退屈な会話をしていた真珠姫の元に、サメが飛び込んできます。王子様が、止めても止めても深く潜って行く、と。真珠姫はサメと共に泳ぎ出します。真珠姫は思いました。人間の世界で何かあって、王子様は自ら命を絶とうとしているのだと。
「人間はただでさえ短い命を、自分でさらに縮める」
そういう話は、人魚たちの大好きな話題でしたから。
真珠姫が王子様を見つけた時、王子様はもう、取り返しのつかない深さまで来ていました。
さすがに苦しそうでしたが、しかし、その表情から連想できる言葉は、「希望」でした。
「どうして、こんなことをしたの?」
真珠姫が人魚の言葉でたずねると、王子様は答えます。
「海の魔女に会います。海で暮らしたい。一番愛おしい方が海にいらっしゃるから」
その時、ようやく真珠姫は気づいたのでした。この王子様の夢は、真珠姫と一緒にいることなのだと。けれど、王子様の息は、もう続きません。海の上へ戻るのも、魔女のいる海の底へ行くのも、もう、不可能です。
魂を集めて遊んでいた真珠姫は、初めて、人間の命がなくなることの恐ろしさを感じたのでした。
サメや海亀たちがすがるように真珠姫を見ます。けれど、真珠姫の心と頭は、たった一つの事実を前に凍りついてしまっていました。
「契約をするかい?」
いつから魔女がそこにいたのか。魔女は、小さく震えているようでした。
「あたしは海の魔女だ。人間とは契約しない。人魚のお姫様、あたしと契約するかい?」
「するわ」
王子様は真珠姫の腕をつかみ、水を飲みながらも首を横に振りました。真珠姫は王子様を両腕で包み、続けます。
「契約するわ。この人間を助けて。何をあげればいいの?」
「何もいらないよ。あたしはあんたにもらって欲しいんだ」
「何を?」
「『海の魔女』を」
「海の魔女?」
「海の魔女はね、死ねないんだよ。誰かに代わってもらわないと。色んな奴を見てきたが、あんたほど海の魔女に向いてる奴はいなかった。あんたは人魚にしちゃ賢い。決断が早いのも良い。海の魔女になって、海の底を守っておくれ。海の底があるから、海の王国がある。まあ、やってるうちに分かるさ。時間はたっぷりある」
真珠姫は、ようやく海の魔女が震えている理由がわかりました。海の底でその身を腐らせながら、忌み嫌われ過ごす、終わりのない時間。時間の牢獄から抜け出せるチャンスを前に、海の魔女は震えているのでしょう。
「嘘の契約をするのは嫌だからね。正直に教えてやる。その人間を人魚にしたところで、魔女に比べたら人魚の寿命なんて、あっという間さ。それにこの人間はまだ海の底を知らないんだろ?こいつが深海魚たちとうまくやっていけるかどうか、あたしゃ、自信ないね。理由がなんであれ、この男が去ったら、お前さんも早く後継ぎを見つけることだ。海の底にずーっといるとね、とろとろ腐ってくよ。心も体も」